著述の紹介


『てれほん人生講話』(品切れ) 

 三分間、テレホン法話の八十八話集です。

潮文社発行 1300円


 

『日々のびやかに』(品切れ)

  新日本印刷 1000円

 テレホン法話、一〇〇話集です。


 

『親鸞聖人の現場の教学』 

  ‥‥‥見落とされた『行巻』の350ケ所の現世利益と信心の「還相」

法蔵館発行 3、000円。中性紙使用 、上装・函入り。

 親鸞さまは、

『行巻』に360箇所以上の現世利益が説かれており、

『行巻』こそ《ひろまり》をめざした著書だったのです。

 そして、『信巻』に「信心の還相」が説かれ、

人のために果敢に利他行する、

信心の《ふかまり》をめざしました。

 この《ふかまる》信心に、

わが身の煩悩が「雲霧」・「水火」となって反逆するので、

悪人という自覚がはじめて生まれると教えます。


目次

 第1章、私の浄土真宗観

   真の仏説を求めて  無茶苦茶に楽しいところ 

   浄土の真ん中にいる証拠  信の還相


 
第2章、入信動機

   苦悩救済を先にする  苦悩と群萌  凡夫の風景

   他宗から犯されない宗学   関東の念仏 

    キリスト教の伝道  青年宗祖の伝道


 
第3章、『行巻』における三五〇余ケ所の「現益」 

    「行の現益」と「信の現益」   信を生む行   「現益」否定の論

   後生ながいの罪福  現世のいのり   心の病と身の病     


 
第4章、称名に付属する「現益」と第十七願の伝承

   信にいざなう現益  未信の諸師の役目  自力念仏とは行者が自力 

   私からの回向の念仏  念仏往生を信じる  信前の念仏の存在

   勧信の称名  信を生む称名  行・信の順列

   第十七願の伝承  浄土の正因と涅槃の正因  称名を往生正因から除くことの疑問  

   信前は自利・信後は利他の念仏  我一心が作仏する

   第十七願の称名と第十八願の念仏  勧信の法事・法讃

   異安心のレッテル  宗祖の報恩  念声是一  大行論


 
第5章、「現証二益」は一具で期待すべし

  『重誓偈』に注目  貧窮の救済  第十七願と『重誓偈』

  悪人にされた貧苦  悪人正機と伝道  超世の願

  大施主  現・証二益はワンパック  現生破満


 
第6章、「現益」はの期待と「いのり」

  『現世利益和讃』と『行巻』  大菩提心と還相の心

  満足心の還相  全智全能  「いのり」と他力  


 第7章、「即往生」と信心の「作仏」

  なにが即往生するのか  現生において浄土入聖証果する

  信心のこころの往生  破満は此土か彼土か 浄土とは

  楽土の落とし穴  『信巻』における信心とわが身  一心作仏への反論

  信心仏性  要期の心は辺地往生  信心の利他行


 
第8章、信心の「還相」と「貧苦」への伝道

  利他行になりはてる信心  還相とは  還相は補処の菩薩の行

  度衆生心と還相  常行大悲の還相  還相の度衆生心 

   一心の流れ  貧苦救済と機の深信 わが身は仏法の排撃者 

  仏の愛・衆生の愛  真実信心は仏心  敗壊の菩薩と愚禿の自覚

  信心はわが身に招喚する  わが貪愛と一切衆生の一致 

  真実の幸福  わが身を導く真実信心

 
 第9章、信心が喜ぶ宗祖の姿

  貧苦救済の現益  「現益」は慈悲の表象  煩悩成就のわが身

  衆生を救うことは劇苦なり  遊女の下着を着た宗祖  現益を求める心は消えない 

  疑情と疑問  現益の期待と三願転入

 
 第10章、信心が喜べないのは

  慈悲は智慧から生まれる  悪権力者はの伝道はやめよ 

  第十七・八願の救済対象  信へ誘う疑問

  二河譬の貪愛の水・瞋憎の火  学仏大悲心  現益が見えないのは

 
 第11章、差別と「現益」

  『信巻』の表紙裏の銘文  権力者と差別語  宗祖の差別意識 

  貧窮と悪人  「現益」と差別と宿業  定業と正定業 

  宗祖の青年時代の宿業観  宗祖の宿因観  宿業ははっきり自覚できる

  宗祖の縁起観  『歎異抄』の宿業  『歎異抄』の職の卑賤  悪縁の解決

 
 おわりに
  





   

                          



 

『もう一方のポストモダン・親鸞論』  全4巻 国書刊行会発行 各2500円

 

  第1巻 『ゆがめられた親鸞教学 ‥‥‥貧苦救済の論理

  親鸞さまは、最初のボタンは貧困者救済でした。

 ところが、伝統的には悪人救済を最初のボタンに合わせているために、

 ナゾとされる部分が生まれてきました。

 そして、わが教団は貧窮者を助けてあげない,

 無慈悲な宗教となってしまったのです。

 
目次 

 
第一章 真宗を見えなく下先哲

  
  第一節 ポスト・モダン志向

 

   伝統教学は正しいか  わたしの学び方  安心論題への疑問 

    法然上人の念仏の継承  閉鎖的教団説  諮問の感触 

   わたしの主張  文証のない反論  親鸞滅後の使命


  第二節 「小論」のあらすじ

 

第二章 伝統批判への己証

 
  第一節 小論『念仏の伝承』
(平成三年度)

    1、念仏の伝承と現世利益

    2、『行巻』における350余ヶ所の「現益」

    3、「現益」への期待と反論

    4、貧苦救済と「現証二益」の念仏功徳

    5、真実行の中の現世期待の念仏

    6、信心の即生成仏と還相は「現生利益」

    7、即生・成仏と還相の主体は信心

    8、信の還相による「逆謗闡提」の自覚


  第二節 勧学寮への鬼哭

   第三回目の諮問  伝統教学とわたしの争点  口封じの実態

 

第三章 「救済」論‥‥‥貧苦救済の教学

  第一節 第一次救済は苦悩者

   作為的導入  苦悩者から悪人はの救済順列  悪人正機のゆがみ


   第二節 悪人救済は第二次説

   苦悩者正客  『本典』全体のゆがみ  苦悩の最たる貧窮者

 

第四章 「利益」論

  第一節 現世利益

   すぐれた宗教とは  現世利益の「滅」からの入門

  親鸞の入信動機  民衆の心の支え

   
  第二節 現生利益

   現世利益と現生利益の相違  現生利益は浄土の利益  「当益」は説かれるか

   入門の順列  入出の風光  ポスト・モダンはの共鳴

   

第五章 「大行」論

  第一節 称名は自利利他円満

   称名大行  名号は利他行になりはてる  念仏は大乗仏教の面目

  「大行」の条件  念仏批判に答える  大乗精神


  第二節 最高善の念仏

   念仏は名号回向  民間信仰とな台湾の念仏  民間信仰の下地の念仏

   嫌な者も救う念仏  最高善の条件  経文の証し  聞名の二意

 大行の利益  自利利他円満の念仏


  第三節 行々相対論

   念仏は利他行、聖道門は自利行

  極速円満しない自力行  光明名号のひろまり

   名号「大行論」の誤解  念前の信  自然にひろまる念仏





 


 

  第2巻 『親鸞念仏の可能性』‥‥‥現世利益と志願満足

 

 親鸞さまは聞こえるお念仏によって、

名号の功徳をまわりに届けている「利他行」をすることができているので、

どのような苦も志願も解決すると教示したのです。

しかも、大乗のブッダたちが念仏を利他行だと証明し、護ってくださいます。

そして、往生成仏もできる「行」だと論証しておられたのです。

ところが、現在の説明では、

お念仏に願ってはいけない、頼んではいけないというお念仏にされ、

お念仏の声が消えて、

《ひろまり》を大きく邪魔をしてきたと論証しています。

 目次

第一章 「志願」論


第一節 志願のゆがみ

  真宗の救い  自力の誤解  願かけ念仏に答える 

  法蔵精神欠如  志願の一般的解釈  苦悩解決への志願 

  拘束からの解放  「現益」願いの文証  「たのむ」の語意 

  「志願と「情願」  如来側と凡夫側の志願  経文に見る「志願」満足


第二節 志願と願生の混乱  

  願生と誤解された「志願」  凡夫が起こす願生は逃避の心

  『観経』と「現世利益」  念仏も「転迷開悟」と「抜苦与楽」をめざす

  志願を願生とする破綻   念仏と楽果の疑問

  信心の志願満足  新宗教とちがう信心


第三節 「転」の思想

  自体満足と志願満足  わたしの誤解  宗教パワー  念仏と民衆の接点

  伝統教学の伝承の矛盾  「転悪成善」は浄土側の利益  

  「現世利益」強調の理由  浄土往生も方便  「邪」も方便

 

第二章 「いのり」論


第一節 凡夫の心の支え

  利他の「いのり」  「たのみ」と「いのり」  「来化」と「回向」の同義性

  浄土のうちの『現世利益和讃』  「誦文」と法然上人の念仏

  いのりと誦文  神父も念仏を称えた

  「現世利益」念仏の功罪  祈願と「他力」の関係


第二節 いのりと願望

  『現世利益和讃』と信心  「いのり」と「願い」の相違点

  非常事態といのり  求道と自力  「願い」と「いのり」

  現世期待と「欣浄厭穢」  「捨穢欣浄」は自力

  「捨穢欣浄」から「欣浄厭穢」へ  願生は利他行へ帰結する

 

第三章 「専修念仏」論


第一節 選択の本意

  選択本願とは  選択本願は第十一・十七・十八の三願

  本願の誤解による弊害  救済のすべては『行巻』に説かれる

  選択本願の文例  「弘願」とは第十七・十八願のこと

  選択本願の誤解への疑問  信前不如実の称名説への疑問

  諸仏の称名は外縁


第二節 如来心の選択

  横超と選択本願  自然法爾

  聞思の念仏  『行巻』と信後の念仏

 


 

  第3巻 『ふかまる横超』 ‥‥‥現生成仏と社会性

 

  信心はいま、浄土往生してブッダとなり、

還相して利他行するという証明が、「横超」だと論証しました。

ところが、肉体の「わが身」が邪魔をするのです。

そのとき初めて悪人という自覚が、

自然に生まれて来ると論考しました。


目次


第一章 「横超」論


第一節 現生成仏論

  『岩波仏教辞典』の問題  「横超」喪失の教学

  鈴木大拙老師の現生成仏説  星野元豊博士の現生成仏説

  両説の不備  近代まで続いた幽体離脱説

  中村 元博士の動き  文証で答えない  死後往生説の弊害


第二節 往生論

  不体失往生とは  三往生  真身とは  無義為疑

  自力・他力の往生  即往生・便往生  難思議往生 

  「議」の解読と還相  吉本隆明氏の往生観


第三節 涅槃論

  現当一如  一益か二益  煩悩と涅槃の関係

  断四流と煩悩の氷解  仏性と涅槃  『入出二門偈』の不断煩悩

  仏と如来の区別  逃避の浄土  肉体命終の成仏


第四節 現生成仏への批判の周辺

  なぜ内藤知康先生は再びまちがいを犯したのか 

  親鸞聖人の著述に「当益」の言葉はない

  上杉思朗先生からの反論  前田恵学先生に反論する

 

第二章 「信心」論


第一節 獲信の構造‥‥‥奪い取る心

  無根の信の構築  「獲得」か「いただく」か  「聞即信」は信不具足

  現世利益追求と獲信  獲信の実感  


第二節 正因論‥‥‥往生の主体

  信心正因の解明  念仏正因の文証  信心が因、念仏が縁

  両重因縁  因縁の道理にそわない伝統 

  「内因」の仏性  信心とは聞思の心


第三節 他力回向論‥‥‥信心の利他行

  大乗仏教の回向論  人間からの往相の回向

  如来回向と他力回向のちがい  不回向とは

  回向せしめたまえり  至心回向  反論の可能性

 

第三章 「還相」論


第一節 信の還相の欠落‥‥‥新しい命の躍動

  回帰のこころ  信の還相の文証  信心の社会性 

  往相内の還相  菩提心の実態の抜けた行信論  還相の信学

  体失後の還相はあるか  「正定聚」と「一生補処」は同義語 

  念仏者に菩提心あり


第二節 大菩提心論‥‥‥利他行する信楽 

  度衆生心と利他行  信心の如実修行  生身と還相

  無根の信の利他行  信の出第五門  利他・他力・他利の区別

  本願三信の利他の構造  菩提心の実働  明恵上人への逆反論

  真俗二諦  「真実信心」こそ人類連帯の心  信心の慈悲性


第三節 禅家からの批判  

  曽我量深先生と鈴木大拙先生の還相論 

  金子大榮先生と鈴木大拙先生の還相論

  大拙禅のするどさとは  星野元豊先生と久松真一先生の還相論

  浄土宗の還相論  

 




 

 第4巻 『親鸞の霊性』‥‥‥抹殺された霊魂

 

 法華経の説かれた順列が、『化土巻』の順列と論証して、

親鸞さまは浄土教が法華経に凌駕していることを考えておられたことを論功しました。

そして、親鸞さまの文章から、信心が浄土に往生したと考えておられたことが了解できます。

ここで、親鸞さま当時は、アニミズムにトップリ浸かっていた時期ですから、浄土教の高僧のすべてが、

いま浄土に生まれたと真剣に考え、つぎに果敢に利他行に生きる私にされたと信じていたことを論究しました。


  目次

第一章 「二種深信」論


第一節 自己確立

  二利の深信  自己確立の論究  自利の深信

  「機の深信」という呼称の弊害  利他と他力の区別  悪人とは

  利他欠如の信心  現生利益は還相益  対峙と同時  難治の三病


第二節 二河白道と深信

  念仏入門から深信へ  二河譬  二河譬の提示する問題

  なぜ、旅人は西に向かっていたのか  

  自己の心の悪獣群賊がなぜ自分を追ってきたのか、また、なぜ逃げたのか  

  入信直前の心理  自力と他力の葛藤  念仏と他宗の相違

  凡夫の旅人が、危険な白い道を「やすく」選んだのはなぜか 

  他力のなかの自力  信心と深信の分岐

  なぜ、水火の煩悩が白道を執拗に攻撃するのか


第三節 釈迦・弥陀二尊の枕本尊  

  念仏入門から深信へ  自己がなぜ自己を苦しめるのか  

  貪瞋の中の清浄心  逆謗の救済  聖人最晩年の本尊

 

第二章 「行信」と「差別」論


第一節 平等心の奪回

  信心は畢竟平等心  信心の時空  一切の功徳は身にみてり

  一心の純化  差別問題に貢献しない教学


第二節 現世利益と逆差別

  貧窮救済の念仏  救済優先は苦悩者か悪人か

  行信論のゆがみによる差別温存  極楽と浄土  名利追求

  解放の生起  唯心論と現実の苦悩  如来の作願のゆくえ

  門信徒のまどい  念仏の社会性  対・世界宗教  ヒューマニスト・親鸞  

 

第三章 「対応」論


第一節 法華経の欠点

  法華経への優位性  『化巻』は法華経への暗示

  法華経との対決  水子の霊の扱い


第二節 新宗教の群立

  溺れる者はワラをもつかむ  利他をすすめる新々宗教の強さ

  なぜ宗教で病気が治るか  宗祖と病気  念仏による「現世利益」の実験

  臓器移植への示唆  癌は自殺の部類か  念仏優位

  なぜ、新宗教はすたらないのか  なぜ、新宗教をやめないのか

  民衆への効果ある伝道

 

第四章  「鬼神」論


第一節 霊と追善供養

  「鬼神」とは亡霊  本願寺の鬼神導入  祖霊信仰と法事  孝養と念仏

  念仏は最上の父母孝養  『大経』に見る「神」  真宗の「霊性」と「神方」

  文献上の鬼神  「霊」の誤謬  『化巻』の鬼神否定

  大乗仏教と霊魂  汚染された近代教学  真宗の霊魂観


第二節 霊的宗教と真宗

  霊の生まれ変わり  聖人との類似点  大川氏の仏陀の自覚

  経を読み変えと霊言  「霊」的体験の科学的裏づけ  臨死体験

  臨死体験の実話  チャチな作り話ではない  科学者の論争

  臨死体験と浄土教  


第三節 親鸞聖人の霊性

  科学者も古い宗教に注目  真宗のゆがみによる新宗教の隆盛

  若者の実体験  若者と霊  霊的病への念仏の効能

  真宗の体外離脱説  唯物論による精神の汚染  心身一如と禅との対比    


おわりに

 



 

『反差別の教学とは』   永田文昌堂発行 1000円

 

  親鸞さまにも差別心が存在していたが、それを乗り超える教えが提示されたと学びました。

そして、差別問題は煩悩と迷信という二重構造によって生まれているので、

ただ正しい論理だけでは同和できないだろうと、正信による迷信打破が必要だと述べました。

そして、深信者は同和にかならず貢献する心を持つと論究しました。


目次


はじめに


第一章、《半差別の教学》


    
反差別の教学  ノーマリゼーション  真宗の反差別

    部落差別は迷信 


第二章、親鸞聖人の差別意識 

    
    差別と煩悩  聖人のいう是人と非人  悪人正機の教学との矛盾

    両本願寺の気配り  糾弾への提言

    西光万吉師のひととなり  《反差別の教学》の示唆


第三章、苦悩救済の《反差別の教学》


    苦悩者正客  ノーマリゼーションとしての本願  無明とは苦悩の根源 

    因果と縁起  『行巻』の苦悩救済  苦悩解決は現世で  

    悪人正機の差別増産 『歎異抄』と蓮如上人


第四章、現世利益と《反差別の教学》


    現世利益軽視はあきらめ教学  宿業の誤解 凡夫の入信は現益による

    本末転倒の教学  『歎異抄』の宿業は誤解  真実と浄化作用


第五章、横超の《反差別の教学》
  


    横超と「われら」の関係  「安城の御影」と横超

    横超は現生成仏  現生の浄土の利益

    横超と不断煩悩  信心獲得のナゾ  信は成仏、身は正定聚

    自力とは横超疑惑  臨終の夕べと横超


第六章、還相の《反差別の教学》  


    信心と社会性  信心の人格  清浄心は還相の信

    深信と還相  度衆生心は還相  

    信心の還相と社会性  還相者を探せ


第七章、《反差別の教学》の広まり 


 一、現世利益とひろまり

    妖術と念仏  念仏によってひろまる  護念と「現世利益」

    悪鬼神は悪霊  平安文学と霊  霊と念仏

    幽体離脱による信心強豪


二、志願の念仏

    「願えとなり」の念仏  入信へのカリキュラム  信を勧める念仏

    『行巻』と自力念仏  利他行の念仏

    第十七・十八願の念仏の区別


おわりに

 



 

 

リーフレット 本体無料 送料1冊90円 4冊まで140円 (切手可能) 


  
@『横超の学び』   

  
    
横超は信心の事例であり、往相から還相までを一気に実現し、実行します。

  

  A『親鸞聖人の伝道精神』   

 
   
真宗の《ひろまり》は現世利益に乗せていると、

     『唯信鈔文意』に説明されます。

  

  B私の『岩波仏教辞典』問題とその後


   
 中村 元先生の論文「往生はいつか」のなかに、私の往生の原稿を採用してくださいました。

  

  C『信心』の利他行


     親鸞さまの信心は、「利他行」する心であったと論証しています。

  

  D『げんり主義』のすすめ


   
 最初のボタンを掛け違えているために、最後のボタンが掛からなくされた。

  

  E信心『正因』とは


   
 親鸞さまのいう「信心正因」とは、

     信心がお念仏の力によって、往生してブッダとなるという意味です。

  

  F『いのり』問題と『おまかせ』


     祈り禁止の和讃の出拠文が『化巻』に引かれ、「専修にして雑心」といいます。

     和讃では「雑修」といい、本典には「専修」といいます。

     本典を重視すべきとなり、親鸞さまには祈り禁止の思いはなかったと論功します。

  

  G『現世利益』と浄土往生


   
生きている、いま、助けてくれた人や楽しみを与えてくださった人が生まれたところに、

     死後も行きたいと願うはずです。

     すると、入門のときに現世利益で救ってくださった宗教の説く、

     ユートピアが最後に求められる。

  

  H『信心』の還相   


    念仏の信者はアミダ仏と同じことを実行するようになるので、

      濁りに染まない蓮の花だとたたえられたのです。

  

  I念仏の利他『行』   


 
    お念仏は大乗の「行」だから、利他行という論証が必要であったことを学びます。


  
J真宗の《ひろまり》と蓮如


     『唯信鈔文意』に、お念仏によって悪霊から救われる、と説明すれば《ひろまる》といいます。

      蓮如もそのように考えておられたということを、岡崎市の慈光寺の名号から推論できる。


   K『東方』、20号。


        「親鸞の利他の精神」‥‥‥『教巻』と『行巻』の利他について

 


   L『東方』、21号。

 
       「親鸞の利他の精神」‥‥‥『信巻』と『証巻』の利他について






  光教寺 住職 入井 善樹(いりい ぜんじゅ) のプロフィール

    1966年,龍谷大学文学部真宗学科卒業。伝道院終了。

    1972年,大谷派の藤元正樹先生と興正派・田中照海先生に出会って、真宗は面白く学ばなければ、
          凡夫が救われる教えでないと学ぶ。また、つねに国文学に沿った学びをしなければ、
          ダメだと教えられた。このころ喉を痛め、住職の仕事が続けられないと考え陶芸を習う。

    1973年,自業苦焼きの業苦落窯を開く。以後10年ほど、県展に連続入選。

    1975年,平和運動(花境はるかにいたる)をはじめ、世界連邦協会に共鳴。
          国際裁判所設立によって、戦争緩和を目指す。国際関税局設置によって、国際的貧富の
          格差を是正と、軍事産業を平和産業に変換するための資金援助、そして、最貧国に技術と
          労働の提供をすることを提唱。

    1976年,インドの仏蹟参拝して大きな衝撃を受けた。

    1977年,日本ではじめてテレホン法話をはじめる。

    1980年,陶芸で日本新工芸会全国展に入選。

    1982年,陶光会全国展にて東京都知事賞を受賞。県展にて善通寺市教育委員会奨励賞を受賞。

    1984年,広島平和記念式典参加、広島別院にて念仏者の平和集会を開く。

    1985年,本堂再建に取り組む。

    1988年,真宗は大乗仏教といいながら、まったく利他行がない。この伝統教学のおかしさに気づき、
          勧学寮に三年間、100枚の論文を提出して諮問を受けた。議論したが認められず、文証の
          提示を要求したが出されなかった。勧学寮は御門主の諮問機関であって、末寺の質問に答える機関          ではないという返答であった。かくて、不合格というレッテルを甘んじて受けなければいけなかった。           私は納得がゆかず、世に問う意味で出版に力を入れた。

    1997年,友人とともに、中途障害者の通称作業所を立ち上げ,「東雲(しののめ)会」と命名。