祈り禁止は親鸞の錯覚か


入井善樹


Is“ the prohibition of the prayer”an illusion of Shinran?

 要旨
 親鸞は『和讃』で,現世の「祈り」を禁止したことは有名である。
そのために民衆の願望に応えることができない宗教となった。
ところで,シャカムニは祈りを説かれなかったが,大乗仏教は
祈りを抱き込んだ。親鸞は真宗を「大乗中の大乗」というが,祈
り禁止なら大乗と矛盾しているのではないかと考える。
 親鸞は信心を「獲得」と表現した。
「獲得」といえば,その前に強い願望があったはずだ。
祈りの願望を禁止して,なぜ信心が獲得できるのか矛盾する。
その宗教が,なぜ日本の有数な大教団になりえたか疑問が出る。
そこを探ると,祈り禁止の『和讃』だけが,親鸞教学から突出し
ていると気づいた。これは,親鸞の錯覚か,弟子の写し間違い
ではないかと考えたのである。

  獲信と願望
親鸞は信心を獲得するという。『信巻』の巻頭文で,いきなり「信
心獲得」と教える。〝信心を獲得することは,本願によって発起さ
れる〟という。ところで伝統的には,真宗は他力の教えだから入
門から「おまかせ」であって,祈りは禁止だと教えてきた。
だが,「獲得」と「おまかせ」は意味が逆である。すると,『信巻』の
早い部分で「獲信」の理由が説かれるはずだ。それを探ってみると,
『信巻』の初めに「大信」が説明され,次に「依経段」といって五種
の『お経』が引かれる。その直後の曇鸞の文に注目する。曇鸞の
「破闇満願」の文である。〝名号は「破満」するというから,私は
称名しましたが苦しみも願いも解決したように思いません,どうし
てでしょうか〟と質問する。すると,〝信心(三不信)がないから
だ〟と答えられた。
 このような答えが提示されたら,〝なんだ,ダマシの宗教と同
じだ〟と逃げ出すだろう。ところが,逃げる人とは強い願望がな
いからである。いままであらゆる方法を試みて,苦の解決を願っ
てきたが,ダメだった人には強い願望があろう。どうしても苦を解
決したい,願いどおりになりたい,という強い願いを持っているだろう。
すると,〝念仏だけではダメですか。信心も必要なのですか。
では,信心を手に入れたい〟という思いが起こる。ここで,「信
心獲得するぞ」という,文面どおりの思いに導くことができる。次
に〝信心を手に入れるにはどうしたらいいのでしょう〟と尋ねる
と,親鸞は待ってましたとばかりに「聞くことですよ」という定番が
待っている。これで,親鸞の悲願である「聞法」へと導入できるのだ。
 つまり,信心「獲得」に導入するためには,その前に民衆側に祈
りに近い強い願望が必要である。煩悩からの強い願望が,〝聞
法するぞ〟となれば,熱心な聴衆者を多く集めることができ,活
性化するはずだ。しかも,煩悩が「信心」に近づく牽引力となれば,
大乗仏教の「煩悩即菩提」の教えにも合致する。
煩悩が求めた信心は,当然,自利を求める「浅い信心」である。
その自力の信心が浄土に「即得往生」し,氷解して「利他の信心」
に大転換する学びが,先々号までの私の学びであった。親鸞は
三回ほど「この心が仏となる。この心は仏なり」という。「仏となる」
ということは,ブッダでなかった信心がブッダになったのだ。「大信
心は仏性なり,如来なり」と,ブッダになってしまったと完了とも明
言している。
 これもすでに学んできた,「本願の三信」とは「横超の信心」の
ことであった。一気に,信心が「生死の海をよこさまに超え」,「無
上涅槃の証りを開くを超という」という。そして,「度衆生心」という
還相の心になって利他行に係り果てるのだ。「一心,これを如実
修行相応と名づく。」(『信巻』。本派253頁,大派242頁。)といい,
ブッダと同じ実働をする信心になったと説明している。自力の信
心が願生した途端に,「即往生」させたと言明するのが本願の約
束である。信心はブッダとなり,利他行する全体を指して「本願
の三信」だといったのだ。つまり,「たまわった信心」とはブッダ
になった利他行する信心のことである。
この利他の信心に導くために,アミダブツが民衆の入門でどのよ
うな願いにも応え,利他行の手本を見せるはずだ。このアミダブ
ツを見習って,信者もアミダブツと同じ利他行するようになれば,
「真の仏弟子」と名づけるのである。つまり,現世利益から「入門」
して,今度は私の信心がブッダとなって現世利益で民衆を助ける,
「出門」を教えているのだ。「諸仏にひとしい」となって,苦しんでい
る人を現実に助ける,この壮大な教えが親鸞の提示した真宗だった。
だから,入門で苦悩解決のために,念仏に祈る民衆を見捨てるわ
けがないのだ。そのことを明記して,念仏の入門書である『行巻』
を読めばいい。とくに『行巻』の最初で,財に貧しく苦しんで人を救
いたいという『重誓偈』が採用され,異訳の『如来会』の貧苦を読み
替えて,人に与えることに耐えられないほどの極貧の人のために,
アミダブツは救いの手を差し延べるという。そして,その結論として,
念仏を称えると「破闇満願」が起こり,「一切の苦しみの解決」と「一
切の願いを満たす」と約束をして,アミダブツは「如実修行」する利
他の姿を印象づけたのが『行巻』の最初の部分と理解すればいい
のだ。念仏を称えたら,願いが満たされるといえば,念仏の前に願
いがあったはずだ。『信巻』で,この『行巻』の約束が実現しないの
はなぜと質したのだ。
 『一念多念文意』でも「さまざまのめでたきことども,目の前にあ
らわれたまえと願えとなり」と願いを勧めるのは,獲信への導入と
考えられる。つまり,祈願を禁止したのでは,信心を獲得しようとい
う思いに導けないのだ。だから,『行巻』には強く願う「志願」を勧め,
祈り禁止の念仏などは説かれていないのである。もし,請求念仏
禁止が正しいなら,「破闇満願」など説かれないはずだ。すると,
「祈り禁止」の『和讃』だけが突出して,おかしいとなってくるのである。

  親鸞の錯覚か弟子の写し間違い
ところで、親鸞には,現世の祈り禁止の歌がある。
  仏号むねと修すれども/現世をいのる行者をば/これも雑修
となづけてぞ/千中無一  ときらわるる
 この一句のために,入門から一切の請求念仏が禁止された。私は,
この「祈り」禁止『和讃』こそ親鸞の錯覚か,弟子の写し間違いでは
ないかと考え,その理由として七由を挙げられる。

【第1由】,親鸞は現世祈りを四回勧めるが,禁止は一回である。世
間の常識では四回のほうが正しく,一回だけなら錯覚が起こったと
考える。四回も錯覚はしないから,「祈り」肯定が健康な正しい念仏
といえる。親鸞が「祈り」を勧めるのは,『御消息』に三回と『行巻』に
一回の合計四回である。ここで注目するのは,本願寺派重文の『行
巻』に書かれた「祈り」の文だ。『行巻』の六字釈で,「南無」を中国で
「帰命」と翻訳され,「帰」の左訓に「たよりのむという」と書かれてい
る。「のむ」は祈るという意味だから,「南無」は「たより祈る」という意
味となり,語彙からも他宗の解釈とも一致して,誰が読んでも納得
する文面となる。
 この左訓は,本派本『教行信証』のみに書かれ,親鸞没十四年後
に弟子が書写した本という。そこで私への反論として,弟子の写本だ
から学問的価値はなく,除くべきというだろう。ところが,禁止『和讃』
も弟子の書写本だから,これも除くべきとなれば,親鸞には現世祈り
禁止の文は一文もなくなるのである。
 ちなみに,大谷派の真跡本(国宝)の『行巻』では「よりたのむなり・
よりかかるなり」と書かれており,高田派重文本は「よくたのむという」
と書かれている。「たのむ」の語源は,「た」は接頭語,「のむ」は祈る
という意味だから,「たのむ」も祈りに近い意味なのだ。
 国宝本の写真版を調べると,何度も何度も訂正して真っ黒になり,
その上に薄く朱の字で「よりたのむなり」と書かれている。つまり,最
後の結論は「よりたのむなり」だが,その前には「たよりのむという」と
書かれていたとも考えられる。
 ここで明記すべきことは,どの本も強く請求させる表現となっている。
親鸞が「たのむ」という文字を漢字で書くときには,すべて「憑む」と書
いている。『行巻』だけでも四回書かれている。これは曇鸞・道綽・善
導・法然らがみなこの字を使っていたからと考える。「憑」はお化けが
「とりつく」という意味で,すがりつくように強く求めるという意味となろう。
 蓮如も二回,「ひとすじにこの阿弥陀ほとけの御袖にひしとすがりま
いらするおもいをなして,後生をたすけたまえとたのみもうす」というか
ら,蓮如の「帰命せよ」も「すがりつくようにたのめ」と解釈すべきだった。
つまり,『行巻』は「おまかせ」の念仏ではなく,強く願わせ請求する念
仏という意味だった。現在の学者は,『お手紙』の祈り肯定は人の幸せ
を願い,利他を願うから肯定だという。ところが,禁止『和讃』の「祈り」
は自利を求めているからダメという。この説に対し,禁止『和讃』をよ
く見ると「現世を祈る行者は」といい,自利だとか利益を祈るとは書か
れていないのだ。だから,区別して論じること自体が間違いなのだ。
但し,後に学ぶ出拠文を認めるなら,現世の自利を求めていること
になるが,それでも「雑修」といったことは歩み寄れない錯覚と考える。

【第2由】,浄土真宗の重要な教えは,『教行信証』に説かれていなけ
ればならない。現世祈り禁止の念仏は説かれないから,親鸞の重要
な教学ではないはずだ。しかも,禁止『和讃』の出拠文が『化巻』に引
かれ,「専修にして雑心」というから「専修」なのだ。「雑修」といえば『教
行信証』からも突出するのである。
現世祈り禁止『和讃』の出拠文は,善導の『礼讃』文であり『化巻』に引
かれる。
  まことに知んぬ。専修にして雑心なるものは大慶喜心を獲ず。かる
がゆえに宗師(善  導)は,「かの仏恩を念報することなし,業行をな
すといえども心に軽慢を生ず。つ  ねに名利と相応するがゆえに,人
我おのずから覆ひて同行・善知識に親近せざるがゆ  えに,楽みて
雑縁に近づきて往生の正行を自障々他するがゆえに」といえり。
 この文が禁止『和讃』の出拠文である。「業行をなす」とは念仏の意味,
「名利と相応する」が現世利益を求め祈るという意味である。しかも,
「往生の正行を自障々他する」という人までを含んで,「専修にして雑心」
と言明されているから,『教行信証』の出拠文から見た祈りは「専修」な
のだ。すると,「雑修」は「雑心」の一字違いの錯覚と考えられる。
 「専修」と「雑修」では天と地ほどの違いがあり,『源信和讃』からは「雑
心」も「専修」の内だから必ず救われるのだ。ここでは,雑修の人を「千
中無一ときらわるる」が「万不一生とのべたもう」と,数値が揺らいでい
ることも錯覚の一由となろう。

【第3由】,親鸞は禁止『和讃』に,「仏号むねと修す」という。親鸞のど
の文献からも,「仏号むね」は「専修」であって,「雑修」は突出であって
他に存在しない。
 親鸞が「雑修」といえば,正定業と助業を混同することだ。五正行の内,
称名を正定業といい,それ以外の四つの読誦・観察・礼拝・讃嘆供養を
助業という。この正・助を混同すると「雑修」という。ところが禁止『和讃』
だけが,「仏号むねと修す」といいながら「雑修」というから矛盾している。
そのために後の学者は分類に苦労して,禁止『和讃』だけに造語をつけて,
本願寺派では「部類の雑修」,大谷派では「専名祈現の雑修」と呼称して
ムリヤリ辻褄を合わせている。

【第4由】,禁止『和讃』の直前句で,「雑修」は「助正ならべて修する」と
いうから,錯覚と学べる。
 直前句では「助正ならべて修するをば/すなわち雑修となづけたり」
と歌う。「助正ならべて修する」のが「雑修」なのだ。これは『化巻』や他
の文献と同じで,「助業と正定業を混同すると雑修」という説明である。
ところが「仏号むねに修す」は「専修」のはずだが、それを「雑修」といえ
ば論外で,錯覚が起こっているとしか考えられない。

【第5由】,禁止『和讃』の直後句で,「雑修」とは助業に現世利益を請
求すると左訓しているから,禁止『和讃』は錯覚と考えられる。
 直後句で「雑行雑修これにたり」といい,「雑修」に左訓が書かれている。
高田派国宝本には「雑修は現世を祈り,助業を修するをいうなり。」となっ
ている。河内・慈願寺本と堺・真宗寺蔵の室町時代の写本では,「よろず
の行なり。また雑修なり,現世の祈りなり,助業を修するなり。」と書かれ
ている。
 念仏以外の「助業」で現世を祈るから「雑修」という。これは他の文献と
一致する。ところが,禁止『和讃』だけが突出して違っているのだ。これは,
親鸞四十二歳のとき千回の『三部経』読誦という「助業」で天候不順を祈ろ
うとしたことや,五十九歳のとき読経で熱病を治そうとされたことを「自力」
と反省された。つまり、読経という助業で利益を求めたから「雑修」と理解
できる。つまり,「仏号むね」としながら現世祈りを「雑修」というから混乱となる。
 ここで問題は,前・後の句で「雑修」を論じたことを考慮すれば,この和讃
も雑修を論じたはずとなり,弟子の写し間違いとはいい難くなる。いかに天
才・親鸞でも,他に四・五箇所の錯覚があり,これらを加味すれば人間・親
鸞だと身近に感じるのである。

【第6由】,『行巻』に自力念仏の十諸師が登場し,自力念仏も「自力の行に
あらず」と,真実の他力の念仏という。すると,祈り念仏も自力ではあっても
真実の念仏となる。
 『行巻』では,インド・中国・日本の三国の七高僧の念仏が引かれ,善導と
源信のあいだに中国の自力の念仏の「十諸師」が引かれ,源信・源空と引
いたその直後の文に注目したい。
  明らかに知んぬ,これ凡聖自力の行にあらず。ゆえに不回向の行と名
づくるなり。大  小の聖人・重軽の悪人,みな同じく斉しく選択の大宝海に
帰して念仏成仏すべし。
この説明から,自力念仏者の十諸師の念仏も,「自力の行」でないという。
十諸師は自力の行者だから,当然,自利を求める祈り念仏も含んでいた
であろう。その念仏も自力による回向行ではないのだ。つまり,すべての
念仏が名号の功徳を人に届けた,利他行であって「真実の行」と学ぶべき
となる。
 「祈り念仏」を雑修の念仏といえば,『行巻』に「浄土真実の行」と標榜し
た念仏と,十諸師の念仏とが合致しなくなる。しかも,「仏号むね」としてい
るのだから,信じているのだ。その念仏を救われないといえば,『行巻』の
理屈が合わなくなるのである。

 【第7由】,法然は祈祷念仏を説いた。ところが,現世祈りの念仏が「雑
修」であって「千中無一」となれば,法然は地獄に堕ちたことになる。とこ
ろが,親鸞の文献で法然が地獄に堕ちたとはまったく論功できないから,
この『和讃』が法然教学からも突出した間違いと考えるべきである。七高
僧に選ばれなかった自力の十諸師の念仏さえ「他力真実の行」というの
だから,法然の念仏はもっと純粋の念仏のはずだ。
 親鸞・八十四歳のときに編集した『西方指南抄』に,四箇所,法然には
現・当の祈りを勧める文が出てくる。この中で,貧乏な人には力を加えて
くれると,「現世祈り」を勧めているから,「千中無一ときらわるる」といえば
法然は救われなくなる。ところが,『歎異抄』には「法然にすかされて念仏
して地獄に堕ちても後悔しない」といい,『源空和讃』には「往生みたびに
なりぬるに/このたびことにとげやすし」「阿弥陀如来化してこそ/本師
源空としめしけれ」と歌う。法然の浄土往生は間違いなくアミダブツの化
身とまでいうから,現世祈り念仏はきわめて健康なアミダブツ直伝の念
仏だと親鸞はいうのだ。この法然の念仏によって,浄土教が日本中に《ひ
ろまった》というから,「祈り禁止」の念仏に大きな矛盾がでてくる。
 『西方指南抄』に,源信の『往生要集』も「余行のなかに,念仏のすぐれ
たるよしみえたり。」というから,「祈り念仏」が日本の浄土教の常識だった。
また,「伝教大師の七難消滅の法にも,念仏をつとむべしとみえて候」と
いうから,親鸞の『現世利益和讃』の「七難消滅の誦文」の出拠といえ,
「誦文」は「祈り」念仏に近い意味だったとも理解できる。
 親鸞が「善導こそただ一人,シャカムニの真意をあらわされた」(『正信
偈』)と,讃美した善導の主著『観経疏』の最後に「余は霊験を請求す」と
いうから,請求の念仏こそ祖師がたの正当な主張だった。祈りを禁止し
た念仏では信心獲得に導入できず,弾圧にも弱く,間違った異解者の
誘いにも揺らぎ,元気が出ないと親鸞は学んだと推察する。
 親鸞が晩年に法然をよく思い出し,「祈り念仏」が集中して『お手紙』に
書かれた。親鸞の晩年とは,再三の鎌倉幕府による法難(嘉禄の法難
や天福の念仏禁制など),また義絶した長男・慈信坊善鸞に信者が動
揺した時期である。ところが,親鸞・三十五歳のときの「承元の法難」で,
法然自身が流罪となり教団解体となったが,それでも法然門下の弟子
や信者たちは揺れることなく念仏を守った。法然の念仏は民衆の心を
強く捕らえ,ここが親鸞念仏と違っていたと,それを学ぶために『西方指
南抄』を編集して法然を学び直したであろうと考える。すると,この本は
一級資料なのだ。しかもこのころの『お手紙』には,青年時代の「善信」と
いう署名を再び使いだし,どこまでも初心に帰ろうとしたと想像する。民衆
から見放され,冷え切ったいまの真宗教団にとって,一番必要な念仏が
法然の元気な念仏だが,禁止『和讃』が邪魔をして親鸞自身の願いとは
逆の方向に向き,この親鸞の錯覚は大変残念だったと考える。

 以上の七由から,現世利益の祈り禁止念仏は,親鸞の錯覚から生まれ
たと考える。そして,「祈る」ような強い請求念仏こそ,信者は過酷な境遇
をも乗り越え、獲信に導く牽引力となるのだ。第十七願を説明した真跡本
が存在する『行巻』の頭で,「念仏は一切の志願が満たされる」と教えられ
たことを,真跡本のない『和讃』よりも大切に学ぶべきだった。「志願」とい
う意味も「自らの意志に基づきすすんで願い出ること」(『日本国語大辞典』
6・531頁)という権威ある国文学者が監修した『辞典』から学ぶべきだった。
 曇鸞・親鸞が「志願」という言葉を選ばれたのは,生半可な甘えの願いに
答えるという意味ではなかった。本心からの強い願いがなければ,感謝は
生まれず獲信による利他行の大信心に随順にならないからと論功する。

蓮如と祈り
 ここで,本願寺に大きく影響した蓮如は,「祈り」に対してどう考えていた
かを探る必要があろう。蓮如自身は,他宗の神・仏に病気治癒を祈ること
をダメといったが,念仏に祈ることを禁止した文は見あたらないのだ。
  また諸神・諸菩薩において,今生の祈りをのみなせるこころを失い,ま
たわろき自力  なんどいうひがおもいをもなげすてて,(『御文章』2の2)
 蓮如はアミダブツ以外の他宗の神・仏・ボサツに,今生の祈りのみを願う
ことを捨てるべき心という。つまり,真宗の念仏をもって祈ることを禁止して
はいないのである。ただし,「わろき自力」の中に「雑修」が含まれ,親鸞の
錯覚とは気づいていなかったから,祈りの禁止も含まれるという論が生ま
れよう。
 蓮如の子息・弟子達のまとめた,『遺言集』でも同じことがいえる。「当時
諸方に遍布せしむ」というから,蓮如の在世中には念仏に祈り,また他宗
の神・仏に祈る者が多くいたと了解できる。しかし,はっきりと禁止した文は
ないのだ。蓮如の子息たちが定めた「兄弟中申定条々」のなかに,「一流
中において病人のため加持・祈祷,あるべからざる次第なり,堅く停止す
べき事」(『九十箇条制法』)という。「加持」は真言の行法だから,他宗に祈
ることを禁止したのである。これらの文からは,「神子・陰陽師」など他宗に
祈ることは禁止したが,真宗の念仏に祈ることを禁止したのではないが,
蓮如に似て含みとしては理解されよう。
 宣教師のルイス・フロイス(ポルトガルの人。一五三二~一五九七)の報
告からも,蓮如以後にも相当熱心に祈り念仏は続いていたと想像できる。
「満足している」という含みから,相当の効果を上げていたと想像する。こ
の本の翻訳者がいうには,「妖術」とはヨーロッパでは魔女のやることだと
いうから,病気治し,天候不順などを祈っていたと考えられよう。このような
時期は,かなり大きな感謝を持ち,アミダブツに随順だったから,もし利他
行する信心の還相が正しく読まれていたら,国際舞台に上る優秀な宗教と
なっていたはずである。
ところで,親鸞の他宗に関する考えは,『御消息集』9に〝アミダ以外の神・
仏といえども軽しめないように,私たちがいまアミダブツに出会えたのは,
さきに神・仏の利益のすすめに出会ったからだ〟と,他宗の現世利益が
先にあったお陰だという。つまり,他宗に祈る人は念仏に入ってくる予備
軍だから,親鸞は「ゆえあるかな」と大切と考えたが,蓮如や子息・弟子た
ちはそのような者は門徒を離れよといった。この親鸞の考えは,衝突が少
なかっただろう。
 ここで一歩譲って,祈り禁止を認めるとするなら,「大信心」は「欣浄厭穢
の妙術」というから,最後には現世利益は求めなくなるのだ。大信心とは,
浄土に生まれ終わりブッダになって、利他行を使命と信じた第十八願の信
心のことだとすでに学んできた。禁止『和讃』はこの大信心に入った者へ訴
えたとするなら譲れる。だが、決して入門時に要求してはいなかったので
ある。
 もう一つの問題として,真宗は「おまかせ」の教えだから祈りを禁止する
のが正しいという説もある。「おまかせ」はすでに『東方・22号』で学んだよう
に,信心がブッダになった後の要求であって,入門の要求ではないと論攷し
てきた。利他行する信心が構築されて,肉体の自力煩悩が邪魔をすること
を止めるために,自力を捨てて「おまかせ」といったのである。「自然法爾」
も同じである。親鸞はどこまでも,多くの煩悩具足の民衆に利他行させよう
という,大乗仏教を優れた教えだと学べば簡単に理解できたことである。

注,()内の「本派」は西本願寺発行の『浄土真宗聖典』注釈版,「大派」は
東本願寺発行の『真宗聖典』のことである。
1)「信楽を獲得」(『信巻』巻頭文)・「最勝の浄信獲得」(『信巻』)・「金剛の
真心を獲得する」(同)・「喜・悟・信の忍 を獲得する」(同)・「心行を獲得す
る」(『浄土文類聚鈔』)・「清浄の信楽獲得」(同)などなど,信心を「獲得す
る」と いう表現が圧倒的に多い。
2)それおもんみれば,信楽を獲得することは,如来選択の願心より発起
す。(『本派注釈聖典』,209頁、『大派聖典』, 210頁。)
3)名号は,よく衆生の一切の無明を破す,よく衆生の一切の志願を満て
たまふ。しかるに称名憶念することあれども, 無明なほ存して所願を満て
ざるはいかんと(『信巻』。本派214頁,大派213頁。)
4)諸仏如来はこれ法界身なり。一切衆生の心想のうちに入りたまふ。この
ゆへに汝ら心に仏を想うとき,この心すな はちこれ〔仏の〕三十二相・八十
随形好なれば,この心作仏す,この心これ仏なり。(『観経』,本派100頁,
大派 103頁。)
5)『善導和讃』。本派『聖典』495頁。大派495頁。
6)①世にくせごとのおこりそうらいしかば,それにつけても,念仏をふかくた
のみて,世のいのりにこころいれて, もうしあわせたもうべしとぞおぼえそ
うろう。(『御消息集』7、本派『聖典』783頁、大派568頁。)
 ②・③念仏そしらんひとびと,この世のちの世までのことを,いのりあわせ
たもうべくそうろう。……ただ,ひご うたる世のひとびとをいのり,弥陀の御
ちかいにいれとおぼしめしあわば,仏の御恩を報じまいらせたもうになりそう
ろうべし。(『御消息集』13。本派『聖典』807頁、大派578頁。)
 ④本願寺派の重文の『行巻』(『真宗聖教全集』2の22頁)の「六字釈」の
「帰」の横に,小さく「たよりのむといふ」 と書かれている。大谷派国宝本で
は「よりたのむといふ」といい,高田派の重文の『教行信証』では「よくたのむ
と いふ」となっている。
7)『ご文章』2帖13,五帖の12。本派『聖典』1129・1198頁、大派791・8
39頁。
8)柏原祐義著『三帖和讃講義』(無我山房発行,662頁。)に,この善導の『礼
賛』文が祈り禁止『和讃』の出拠 文という。
9)『化巻』。本派412頁,大派355頁。
10)専修のひとをほむるには/千無一失とおしえたり/雑修の人をきらうに
は/万不一生とのべたもう(『源信讃』。 本派594頁、大派497頁。)
11)○「専修」について二種あり,一つにはただ仏名を称する。二つには五専
あり。この「行業」について専心あり, 雑心あり。(『化巻』。本派395頁,大派
342頁。)
 ・「五専」の意味は,五正行のどれか一つの行だけをもっぱらに修する人の
こと。
○専修は,本願のみなを,ふたごころなく,もっぱら修するなり。(『一念多念
文意』。本派687頁、大派541頁。)
12)○「雑修とは,助正兼行するがゆへに雑修といふなり」(『化巻』。本派『聖
典』396頁。大派343頁。)
 ○「定散六種兼行するがゆへに雑修と曰う。」(『愚禿鈔』。『聖典』本派531
頁。大派448頁。)
13)詳しくは拙著・『親鸞念仏の可能性』194頁(国書刊行会発行)を参照。
14)『善導和讃』。『聖典』本派590頁。大派495頁。
15)「こころはひとつにあらねども/雑行雑修これにたり/浄土の行にあら
ぬをば/ひとへに雑行となづけたり」『真 宗聖教全集』5の28頁。
16)『行巻』。本派185頁,大派189頁。
17)『東方』第20号,108頁,拙論・「『行巻』の利他」を参照。
18)○ただ念仏ばかりこそ,現当の祈祷とはなり候へ。(『西方指南抄』中末。
『聖教全集』4の169 頁)
○このよのいのりに,ねんぶつのこころをしらずして,仏神にも申,経をもかき,
堂をもつくらんと,これもさきの  ごとく,せめてはまた後世のためにつかまら
ばこそ候わめ。(『聖教全集』4の172頁)
○今生の財宝のとぼしからんにも,力をくわえたもうべし,……かならず専修
の念仏は現当の祈りとなり候うなり。  (『聖教全集』4の174頁)
○御いのりのれうにも,念仏がめでたく候。『往生要集』にも餘行のなかに,念
仏のすぐれたるよしみえたり。また  伝教大師の七難消滅の法にも,念仏を
つとむべしとみえて候。(『聖教全集』4の234頁)
19)『御文章』2の2,本派1110頁,大派779頁。
20)○門徒の中に人の煩えば,祈祷をし,はらいをし,神子・陰陽師をもて,
病者をいのること。(『蓮如上人九十箇 条制法』)
 ○御流の門徒の中において,念仏をもて一切の病者をいのる条,当時諸方
に遍布せしむと云々。(『九十箇条制法』)
 ○御門徒の中に煩えば,祈祷し,神子・陰陽師をもて病者をいのり,あるい
は今生の寿福を神にいのる輩は,聖人の 御門徒にあらず。いそぎて門徒を
はなるべきこと。(『蓮如上人九十箇条』)
 ・『九十箇条』は弟子たちが,『九十箇条制法』は蓮如の子供たちがまとめた
蓮如の遺言といわれる本である。私の資  料では『九十箇条』の文の真偽が
つかめないが,ここは笠原一男氏の資料を信じよう。(『蓮如』88頁。笠原一男
著,吉川弘文館発行。)
21)一向宗の僧侶と山伏とは,自分たちが妖術者であることに満足している。
(『フロイスの日本覚書』中公新書発  行,94頁。『ヨーロッパ文化と日本文化』,
岩波文庫,81頁。)
22)まづよろづの仏・菩薩をかろしめまゐらせ,よろづの神祇・冥道をあなづりす
てたてまつると申すこと,この事 ゆめゆめなきことなり。世々生々に無量無辺の
諸仏・菩薩の利益によりて,よろづの善を修行せしかども,自力にて は生死を出
でずありしゆゑに,曠劫多生のあひだ,諸仏・菩薩の御すすめによりて,いままう
あひがたき弥陀の御ち かひにあひまゐらせて候ふ御恩をしらずして,よろづの
仏・菩薩をあだに申さんは,ふかき御恩をしらず候ふべし。 (『御消息集』。本派
786頁,大派571頁。)
     (いりい・ぜんじゅ 普通会員・光教寺住職)